小学3年生で完全不登校になった娘、そのきっかけと親の対応

不登校

娘が3年生の頃の話。

3年生となり、4月、クラス替えも好調。担任の先生も良さそう。

順調な滑り出しに思えた。

苦手な授業があると、行きたくないとしぶったり、一日休んだら次の日は行けたりと2年生の頃と同じような感じでなんとか行けていた4月。

ところが5月のゴールデンウィーク明けに、制服を着て準備をして玄関を出たところで、娘の足は止まり・・

「行きたくない」と泣きだした。

しばらく説得を心みるも「行きたくない」という気持ちは変わらず、その

日は休むことにした。

それから夏休みまで、学校に行くことはなかった。

文部科学省によると年間30日以上学校を休むと不登校児とカウントされるようだ。

それから3年生が終わるまで、教室に行くことはなかった。

休み始めた時には、今回もまたか、という気持ちで、何日か休ませたら大丈夫かなと思っていた。

ゴールデンウィーク明けに休んだ日も、その次の日も、

折を見て娘に『どうして行きたくないのか』と問いつめた

そう話すたびに娘の表情は曇り、言葉が詰まる

行きたくない理由については娘なりの気持ちを話してくれたし、しんどいよね、と納得する部分もある。

でも、それでも、学校は行かないと。

学校が楽しいから行ってる子ばかりじゃないし、授業は苦痛かもしれないけど、休み時間は楽しいようだから頑張りすぎないように、適当なところで力を抜いて行ってみたら?

というようなことを伝えても、娘の気持ちは変わらなかった。

休み始めて数日後、夜泣きながら・・

「もっと学校に行ける子がママとパパのところに生まれたら良かったのにね」と娘が言い出したことがあった。

そう、娘は自己否定的になるほど、気持ちが落ちてしまっていたのだ。

それまでは、少し休んだら勇気づけて背中を押すのが私の役目と思っていた。

その娘の言葉を聞いた後、もうこの子には「学校に行こう」って言わなくていいかもしれない、と私の中で何かがふっ切れて、とりあえず、『もうやめよう』って思った。

娘が元気で笑顔なのが1番大切だったのに「学校に行かせる」ことに意地になりすぎてて、娘の気持ちがこんなに落ちていることに気づけなかった。
自分を責めて後悔して申し訳ない気持ちがいっぱいで、その日は眠れなかった。

「パパとママは娘が学校に行けても行けてなくても大好きだよ」という気持ちが伝えられていなかったし、見失っていた。

次の日からは、朝、「今日は学校行けそう?」と聞かずに、休むという前提で過ごすようにした。

しばらくは娘も戸惑っていた様子で、寝室から出てこなかったりもしたけど、だんだんと、休んでもいいんだと心が軽くなってきたのか朝起きたら朝ごはんを食べて着替えをして、という日常のルーティンが過ごせるようになってきた。

3年生の不登校期間で家にいる時は、勉強のスケジュールを組んでみたり、自由にさせてみたりしたけど、何がよかったのか正解はわからない。

過ごしかたを模索しながらの毎日は長くて辛かった。

娘自身も、『学校に行けていない自分』と向き合うのは辛かったようだ。

休み始めた時は自信を失って表情も暗く、と思ったらハイテンションになって笑ったり、甘えてきたりと情緒不安定な様子だったけど、時が経つにつれて、だいぶ落ち着いていた。

私も自分の思ったように過ごせないことにイライラしていることも多かった。

夏休みが明けて3年生が終わるまでの期間は、不登校支援室に行ったり、公民館で過ごしたり、娘と私なりの過ごし方で過ごしていた。その話はまた今度。