小学2年生娘、不登校になる直前の『もう限界』だと思ったサイン

不登校

娘が小学2年生の時のこと。

それまでも不登校気味で、週に1.2回休んだり、時には1週間くらい続けて休んだこともあった。(今は微登校という言い方もあるそうですね)

その度にずっと行かなくなるんじゃないかと不安になり、親としての対応に悩む日々。

優しく受け入れてみたり、きつく問い詰め怒ってしまったり、、接し方を後悔することも山ほどある。

学校のこと以外でも、母が更年期で精神が不安定だからなのか、娘が第2次反抗期だからか、理由はわからないけど、娘に注意することや怒ることが増えていた時期。

週に1回の習い事についても、行きたくないと泣くことがあって、でもずっと続けてきたことだから行ってほしいという親の想いもあり、習い事がある日は心が重かった。

そんな毎日の繰り返しで、親子ともにくたびれていたのかもしれない。

夫は学校に行ってほしいという考えが私より強い方で、学校に行きたくないと娘が言っても「行かないなら外に出てなさい」と玄関まで引っ張っていくこともあった。夫自身もそこまではしたくないけど、そうでもしないといけないような『親としての使命感』のようなものもあったのかもしれない。

その度に娘は泣き叫び、当然受け入れようとしない。

学校に行けば、授業にもついていけているようだし、友達と遊んだ話とかを教えてくれるのでホッとする。

学校生活において、これが『特別に辛い』ということはなさそうに見えた。

ただ、学校から帰ってきてからの疲労感は、、、見ているこっちも疲れてしまうほどだった。

疲れからかイライラしているのが目に見えてわかるし、妹や母に当たり散らす感じで雰囲気が悪い。

学校から帰る娘を迎え入れるにはある程度の気合いが必要だ、と帰宅時間になると精神統一して待つ。

でもやはり母はそこまで強くないので、よく娘のイライラに対してこちらもイライラしてしまって態度に出してしまう。

全く持ってアンガーコントロールができていない..

けど、娘は宿題も明日の用意もちゃんとするので、本当に偉い。

休みの日は元気に過ごせてご機嫌なんだけど、学校がある日の前日は、明らかに不機嫌なことが多いし、わがままを言って泣いたり、自分の意見が通らないと怒ったりと、みるからに情緒不安定になる。

そして夜になると、眠れない、明日の学校がやだと布団に入ってから泣く日もある。

娘の心が限界を迎えた日

ある時、2週間続けて月曜日に学校に行けないという週が続いた時、夫が厳しく叱った。

その翌週の月曜日はなんとか登校することができたのだけど・・

でも登校できた月曜日の夜寝る前に、何かが限界を迎えたのか、本人的にはそんなつもりもなかったのかもだが
『最近ずっとご飯(家でのご飯と給食)を食べるときに喉が詰まって苦しいの・・』と話してきた。

『お茶を飲んでなんとか大丈夫になるけど、辛い』と。

そうか、しんどいね、といろいろ話を聞く中で

『学校に行けなかったり、家で注意されたり、その度に自分はダメだ、もっとこうしなきゃいけないのにって思う、でもできない、、どうしても学校は嫌だし、ちゃんとできないのが辛い』と話してくれた。

母が自分のせいで不機嫌になっていると、自分ももっとイライラしちゃうしどうすればいいかわからない。というようなことも話してくれた。

泣きながら胸の中のつっかえを話している娘を見て、何かがコップから溢れたように感じた私は、その夜、ひたすらに娘が大切だということをいろんな言葉で語りかけた。

そして、学校には行っても行かなくても娘が大好きだよ、学校に行くより、娘が元気で生きていてくれたらそれが1番だよと。

最近言わないようにしていたけど、この時ばかりは、『学校に行かなくてもいいんだよ』といった。

娘は安心したのか、少し落ち着いた様子で眠りについた。

私は眠れなかった・・まだこんな小さい子が『ちゃんとしたいのにできない自分』を責め、心をすり減らしていたなんて、ショックで、、

『喉が詰まって苦しい』と娘が言い出したのは、母に心の辛さを理解してもらいたい娘の『もう限界だよ』っていう身体からのサインだったのかもしれない。

変わろうと決意した母と娘の様子

そして次の日、娘は学校を休んだ。

私は、それまで学校を休んだ時に言っていた『〇〇したほうがいんじゃない?』とか『〇〇したら?』というのをやめてみようと思い実践してみた。そして、そう思うのもやめようと心で決めた。

ずっとパジャマでも、ずっとスマホやゲームをしていても、何も言わないことにした。

様子を見ていると、ある程度好きにだらだら過ごした後は、チャレンジタッチを黙々としていた。

チャレンジタッチが終わった後は、また好きに過ごしていた。

妹がお昼に幼稚園から帰ってきたので、その後はテレビをみたり、姉妹で遊んでいたりした。

夜も普通に過ごし、明日の学校については話を出さなかったし、気にしないようにした。

その日は、それまでで1番、娘と私の心が穏やかに過ごせていた気がする。

後から知ったけど、子どもは7歳くらいで否定の言葉を強く拒否するようになるらしい。

私は、自分が『娘の心を守らなくては』と思い、娘の意思を尊重したり、否定しないよう心がけると決意した。

娘は娘の人生を生きているし、自由にさせてみよう、今は見守る時期なのかもしれないと、言い聞かせた。

簡単ではないけれど、母自身の気持ちが穏やかに過ごせるように心がけた。

娘が出してくれた限界のサインは、私の心に今でも残っている。

これからもそういうサインは見逃さずに、娘の成長を見守って行きたい。

また、母も日々鍛錬・成長していかなくてはいけないんだな、と。

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