友達とお茶をしながらおしゃべりしていて良くある「インスタで見たよ〜〇〇してたね!」というやりとり。
つまり、インスタで投稿したことが「わざわざ話さなくても」「周知されている」という現象。
または、そこにはいない第3者の近況を「インスタで見たけど、この前〇〇に行ったらしい」と直接聞いてもいないのに知った気になっている。
私はこの現象にとても違和感を感じていた。
そもそもインスタとはそういうものだと言われたらそれはそうなんだけど、リアルなコミュニケーションがインスタによって脅かされているような、そんな危機感を感じた。
ちょっと大袈裟かもしれないが、その人の本質はまた別のところにあるのに、インスタによって作り上げられたその人像が、本質の部分を超えていってしまうような、、それはまた自分についても然り。
例えばある人が「カフェで過ごすひととき」をコーヒーの写真と共に投稿する。
『久しぶりにゆっくりできて幸せ。デトックスのひととき』とでもキャプションに書いて投稿したとしよう。
おそらくある人の投稿をみた人は「カフェに1人でゆっくり行けるなんて羨ましい」「こういうひとときがある人にとっては癒しの時間なんだな」とか思うだろう。
それはある人の日常のほんの一部でしかないのに、もう見た人のイメージには『カフェでゆっくり過ごす人』として強く印象つけられるのだ。
しかし、ある人の本当の部分は違う。
そのカフェに行く前にすごく悲しいことがあり、悲壮な思いを抱えて泣く泣く入ったカフェで「思わずほっこり」した。その瞬間、たったその一瞬だったかもしれない。
もしくは、仕事でストレスを抱える中での合間のたった少しの、ひと息つける時間だったかもしれない。
ある人にとっては「ネガティブな中の少しのポジティブ」の投稿だったのに、見た人にとってはその投稿は「ポジティブ」にしか映らない。
また、ある人は「誰かに話を聞いてほしい」と思っていたかもしれないが、見た人は「素敵な時間を過ごしていて羨ましい」と思うかもしれない。
そのように人々の認識はインスタを通じてすれ違っていく。
投稿を見ることで、その瞬間のある人の感情をあたかも全部知っているかのように、本当の部分はスルーしてしまう。
それは自分にも言えるし、他人にも言える。
『本当だったら知らなかったことを知ってしまう』というのも困りものだ。
例えば、良く遊んでいた3人組のうち2人がインスタを通じて遊んでいると知ってしまうのだ。
自分は誘われていないのに。
しかも『匂わせ』投稿でわかってしまう。
良く考えれば自分以外の2人には共通の趣味があり、2人しかわからない世界があって誘われないこともあるのも今までだってあるのはわかっていた。
でもインスタを通して、しかも『匂わせ』でわかってしまった時の闇は深い。
知らなければ今まで通り仲良くできていたし、自分を誘わなかった2人にも悪気はない。
知らなければ幸せだったのに。。という瞬間も多い。
私はこの瞬間に、インスタを辞めた。
「誰かと誰かが楽しくお出かけしている」という情報や「誰かが今日何を食べて美味しかった」とかいう情報は知る必要ないと思ったからだ。
インスタで間接的に知って色々想像して羨むより、会った時に「最近どう?」とかの話題で初めて直接聞く方がよっぽど楽しいし有益だ。
私にとってインスタは、重要な仕事のツールであるし、情報収集の手段として生活には欠かせない。
辞めたと言ったのは、『リアルな友達との繋がりを絶った』という意味だ。
フォローを全部外して、自分のフォロワーをゼロにして鍵アカにすると、自分の今まで投稿は誰にも見られなくなる。アカウント自体削除してもよかったけど、自分の記録として今までの投稿は残しておきたかった。
リアルな友達の投稿は表示されないようにした。
とにかく、インスタを開いた時にリアルな友達の近況が絶対入ってこない状態にした。
友達には『インスタやめた?』と聞かれることがあったけど、『そうなんだよね、色々面倒くさくなっちゃって』と言った。
嘘ではないし、友達をやめるという意味でなくてあくまでインスタ上の精神衛生を保つ上でのコトなので別に気にしない。
それで、、めちゃくちゃスッキリした^^/
なんか世界が変わったというと大袈裟だけど、余計な雑念がなくなったというか。。
友達とおしゃべりしてても、先入観がないから新鮮だし、より繋がりを大事にしようと思うようになった。
もしかしたらインスタを通じての繋がりを失ってしまった可能性もあるけど、失ってしまったことも気づかないので大丈夫!
会いたければ直接LINEして会えるし、特に困らない。
インスタでの繋がりに縛られていた自分勿体無いな〜って今になっては思う。
それに、美味しいご飯や旅行に行っても「インスタ用の写真」にこだわる必要はなくて、自分の思い出として純粋に楽しめる。記録用に気楽に写真を撮ったりもする。
たまに友達と話している時に「〇〇ちゃん、〇〇に行ったらしいよ」とか「〇〇ちゃん、色々やっててすごいよね〜」というインスタを通じて得た情報の話題になる時は、ちょっと勿体無いなって思う。
リアルに会って話せば「〇〇に行った話」も「色々やってて大変という話」も数倍有意義に話せて意見交換もできるのに、インスタで知った気になってる友達が大勢いるから、それぞれの勝手な想像と憶測で本来の自分が伝わらない。
それってなんだか勿体無い!と思ったりもする。
でも、私の場合は、インスタを断ち切ることで、日常のもやもやから解放されたけど、同じような人ばかりとは限らない。
今やインスタはなくてはならないコミュニケーションツールになっている。
それで生活している人もいるし、情報発信のツール、リアルに会えない友達との繋がりもできるし、フォローやいいねの数で承認欲求を満たせる。
だから、今回の私の話は、いいね!やフォロワーを増やせなかった者の「ひがみ」と捉えてもらっても構わない。
考え方は自由でいいと思っているし、インスタ自体やインスタをしている人のことも否定する気はない。
私自身、インスタで色々な情報を得て生活に役立てているし・・
ただ、なんとなく「インスタ疲れ」を感じてる人に共感してもらえたら嬉しいです^^/

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