両親の不仲〜羨ましいを糧にして生きる〜

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『はじめに』

人生の転機は?と聞かれるとそれはおそらくワーママ1年目のあの頃。
ワーママという言葉が浸透し、かつ国の政策でも女性の社会進出が推奨され、働くママは素晴らしい!女性が輝く!というイメージが定着しつつあったころ。
同時に保育園の待機児童問題も深刻化、働きたくても働けないママが多くいるという報道も多くあった。
反対に育休期間が延長されるなど、サポートも拡充されつつあった。
少子化問題もあり、働きながらも、子どもを産むということが勧められているように感じた。
父親も育休をとろうという運動も推奨されはじめていたが、現実には父親が育休をとったなんて話、当時は聞いたこともなかった。今でこそ、まわりでも聞き始めたが・・
他にも、色々なサポートが充実していたような気もしたが、実際ワーママの日々はそんなサポートの内容を超えるほど、目まぐるしく私にとっては忙しすぎて余裕がない日々だった。
お金に余裕があれば、家事代行や病児保育なども利用できるのかもしれないが・・
とにかく毎日必死で、目の前のことをこなすのに精一杯だった。
この話は、当たり前のように会社員でワーママをしていた私が、会社をやめて、フリーランスという働き方を選ぶまでの葛藤の日々の実話である。

『羨ましいを糧にして生きる〜自己肯定感は低いけど自己評価は高い私〜』

両親の不仲

大体の人が何らかの家庭の事情はあると思うが、私の場合も、他人には簡単に話せない家庭の事情があった。

最初に言っておくが、私は自分のことを肯定的に捉えており、その家庭の事情は私の幼少期〜思春期の暗い印象の原因ではあるが、それを恨んだりはしていない。

今の私を形成しているのは、それも含めて全部だからだ。

悲しい過去も全部、私。

私は私を肯定的に捉えている。自己評価が無駄に高いのも然り。

それは母が私を愛してくれたからだと思う。

いつも私の味方であり、心配してくれている頼れる存在。

私は母をそんな風に思っている。

ただ、私の中の心の奥のなんとも言えない悲しい感情というか暗い感情というのは、おそらくその幼少期〜思春期の家庭の事情に起因するのではないかと思う。

今からすると人生のほんの一部にしかすぎないのだが、小さいころの経験というのは、大人になってからの経験の何倍もの影響力があるのだろうと推測する。

当時住んでいた家は小学3年生〜大学生になるまでたった10年の間住んでいたのだけど、40歳手前の今でも、夢でのシチュエーションは、当時の家の面影があるのはその通りだと思う。

小学3年生のとき、当時住んでいた借家から一戸建てのお家へ引っ越した。

夢のマイホーム、私も家の打ち合わせにメーカーとの打ち合わせについていったり、新築の家に初めて入った時のあの香りを覚えている。

その時は、新しい家に希望もあった。

後から知ったことだが、当時の住宅ローンは今の比にならないくらい高く、びっくりした。

おそらくその時点で、両親の中にもいろいろあったのかもしれないが、表面上は浮き彫りになっていなかったと思う。

それまでの両親のことはあまり記憶にない。

写真もそれなりにあるが、悪い記憶はあまりない、普通の家庭だったと思う。

いつからだったかはっきりとは覚えていないが、新居に越して一年くらい経った頃から、両親は仲が良くないなと感じることが多くなった。

母の父に対する当たりが強いのだ。

母はもともと気が強くてしっかりモノ。看護師をしていて妊娠を機に退職した。私が小学5年生の時に看護師として復職する。

私が小さい頃は専業主婦で、通信教材の宅配の仕事をたまにしていたがあまり詳しくは聞いていない。

まあ、もともとそういう性格なのだろう。

もちろんそれ相応の理由があったのだろうと、夫婦というものになって体感している今ならわかる。

所詮は他人だからそういうこともある、、と。

これは大人になってから聞いたことだが、父の家族の借金の連帯保証人に父が母に黙ってなっていたことが要因のひとつだったらしい。

そのうち、父とは一緒に出かけるということがなくなり、外食や泊まりも母と兄と私の3人で行くようになった。

それに疑問を抱きつつも、あえて口に出すこともなく、そのまま過ごしていた。

家でのご飯は父が家にいる時は一緒に食べていたが、食事の雰囲気は最悪だった。

別に喧嘩したりというわけではない、ただひたすら無言。

私もそんな雰囲気がいやで嫌で、早く父がご飯を食べ終わらないかなあと思っていた。

子どもは、そんな嫌な気持ちを抱えていても、その環境に身を置くしかない。

親の作る環境というのが、子どもの人生に大きく影響する。

これは親となった今、私に重くのしかかってきている。

私も自己診断でしかないが、会食障害がある。人とご飯を食べるのが苦手なのだ。

もともと胃腸機能が弱いため、というのもあるかもしれないが、気の知れた相手以外がいる食事は食べていてもあまり消化してないなあと思う。あとで胃が痛くなる。

幼少期の頃のことが起因しているのかはわからないが、そうかも知れない。

そんな家庭崩壊の状態が私が大学に行くまで続いていた。

そのうち高校生くらいになると、家族でご飯を食べる機会が自然と減っていったのは救いだった。

そして、当時から母には父以外に、頼りにしている存在があった。

後にこの人と再婚し、今でも仲良くしている。

私の子どもの大好きなおじいちゃんとして、家族の一員だ。

当時の私も兄も、その存在は知っており、遊びに連れていってくれていたりしていた。

その人が好きだからというよりは、その人と母がいる時の母が好きだったのだろう。

家で父といるよりも。

だんだんと、私も父を疎ましく思うようになっていった。

別に何かされたわけでもないのに、母がよく思っていない、家庭の雰囲気が悪いというだけだ。

私は共感力が高い方で、その雰囲気に飲まれたり、イライラしている人がいると自分もそうなってしまうところがあるので、余計にだ。

大好きな母の感情に、私も無意識に共感していた。

両親が言い合いをしていた記憶もある。

父は必要ない限りは自分の部屋にいて、家庭内別居状態だった。

私と母と兄は1階で寝て、父の部屋は2階だった。

大きくはない家だから存在を感じはしていたが、完全に分離されていたと思う。

両親の喧嘩を子供に見せるのは虐待と同じというのを聞いたことがある。

本当に、身体は無傷だったけど、心はすり減っていたなと思う。

特に父が仕事から帰ってきた瞬間は、ストレスを多く感じた。

家の中ではストレスがずっと続く状態?そんな感じ。

家庭ではそんな状況が続き、一方で私は中学・高校も友達関係や部活に恵まれ、楽しい思い出はたくさんできた。

そんな楽しい思い出もあるけど、なぜだろう、、思い出しても『モノクロ』なのだ。

おそらく心の底の部分で家庭のことがあったからなのか、当時はそんなこと思わなかったけど、異常な状態だったからなのかも知れない。

勉強が割とできた私は、高校受験も成功し、大学も推薦で受かることができた。

本当についていたとしか言いようのない受験だったが、神様がそんな状況の私に運を与えてくれたのかも知れない。

私が高校3年生の時に、兄が浪人の末県外の大学に受かり、出ていった。

私が大学に入ってすぐに、私と母は家を出ることになる。

父と一緒に住んでいたのは18歳まで。

その後、父と母は離婚するのだが、それに関してはやっとか、という気持ちばかりで、悲しいとか辛いとかはなかった。

今でこそ、離婚は簡単にはできないというのが身にしみてわかるようになったが、子供の私は、早く離婚したらいいのに・・とずっと思っていた。

その気持ちやストレスは大人になり母になった今でも心の奥に住んでいて、たまに思い出す。

結婚して母となり、夫との離婚を考え始めた現在、「子ども時代の自分」と「自分の子ども」を重ね合わせ、子どもには自分と同じ思いをして欲しくないと思う反面、簡単に離婚というものに踏み切れなかった母の気持ちもわかるようになった。

母には愛してもらったし、今でも大好きだが、家庭のことについてはもっと自分(私)のことを考えて欲しかった、説明して欲しかったという怒りにも似た気持ちがあり、それについては未だに消化できていない。